子どもたちの成長があって 親の世代も成長すると思う最近です。 そんな日々の備忘録です。
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明治44年生まれの祖母が亡くなった 享年99の大往生だった 実は亡くなる前日に見舞いに行っていた 声をかけるとかすかに目を開き 僕の事を認識してくれたのか出来なかったのか かろうじて返事をしてくれるくらいの体力だった 翌朝亡くなったとの知らせを受けた 僕は“孫”という存在でなくなった 何とか生きてるうちに顔を見せられた事が 少しでも孝行になっただろうか 明治生まれの方はもう98歳以上なのだな、と ふと思う 明治は遠くになりつつある
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麻布十番の新一ノ橋交差点に近い三田小山町は 港区内でも戦災で延焼しなかった稀有な地区だ 数年前、ワイルドスピード3 TOKYO DRIFTのロケが まさにこの2ブロックを潰して行われていたのに遭遇し 本場ハリウッドの映画撮影を間近で眺め 野次馬と化していた思い出がある たかだかしもた屋風の日本家屋に アメリカ人が車で乗り付けるシーンに 巨大なクレーンと、これまた巨大なケータリング車に そして控室として近所の讃岐会館という宿泊施設を借り上げて 収録していたのを唖然としてみていた その交通規制をしていた2ブロック分に建築途上なのが シティタワー麻布十番だ http://ct-azabujuban.com/ これで戦災で焼け残っていた日本家屋は殆ど姿を消し 高さ130m、38階建ての高層マンションが誕生する 都心は高層マンション建設が次々と進む 確かに高いところから下界を見下ろす夜景は綺麗だ でもNYのWTCのてっぺんでメシを食った機会を得た時感じたのは てっぺんで優雅にメシ食っている人間と 下界でその日暮らしで蠢く人々が点のように見えたこと 高層マンションを批難する気もなく、あこがれるが 地上で懸命に働く人々も何とかしたい 高いところから見下ろして悦に入っているだけはイヤだ
高校卒業後、4半世紀以上が経って 前任者のご苦労が大変そうだったのと ちょっとは母校に御恩返しでもしようと思い 同窓会委員になった 新制中学制度から創立された学校だから 現在は63期生が存在する 僕はもうとっくに真ん中より上の世代で 息子たちが母校に在籍する同窓生もいる 学園祭の日に行われた同窓会委員総会に出席した 年配の、特に60歳以上の方々の健啖なことといったら・・・ でも想像と違って、先輩方は独善的でなく 初老とは思えない、矍鑠たる紳士的な男性たちだった 出来るだけご恩返ししてみるかな
子どもの成長に合わせて 自分の生活スペースを整理することにした (家族会議で僕の空間がだいぶ削られるハメの結果) 屋根裏の大掃除、そして廃棄処分できるものをエイヤで決める カービングでないスキー板はエイヤと捨てる ボディボードもエイヤと捨てる 20年前のテニスラケットもエイヤと捨てる と、簡単に捨てられないものが出てきた ミュージックマガジン83年後半から96年後半まで ほぼ完全に揃っての発掘だ 音楽オタクの証明みたいなものです 高校くらいから愛読して 大学生になったらバックナンバーを古本屋で購入することを覚え 75年くらいからのモノが4畳半の部屋の本棚の半分を占めていた 子ども中心の生活になって 75~83は図書館に寄贈した ヤフオクのアカウントは持っていないし 読みたいときがきたら、読めるのがいいから 今回も図書館に寄贈かな 学生時代の中心に位置していたモノのひとつを 掘り出した午後でした こういうのは捨てたくはない