子どもたちの成長があって 親の世代も成長すると思う最近です。 そんな日々の備忘録です。
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島の食堂で一組のご老人とその息子さんと隣り合った 聞けばご老人は北硫黄島の出身で80歳代後半 今回は故あって故郷近くの父島までやってきたという 北硫黄島は小笠原の南約200㎞に浮かぶ無人島 硫黄列島には南硫黄島、硫黄島、北硫黄島などがあり 硫黄島と北硫黄島には入植者がいた うち北硫黄島には戦前は入植者がいて、最大で200人程 昭和19年の強制疎開の際にも100名近い人間が住んでいたと言う http://imagic.qee.jp/sima2/tokyo/kitaioujima.html http://tonesan.fc2web.com/kitaiou.htm 100人足らずの強制疎開者の存命者だから ここで性別や村や現在の出身地を書いてしまえば 小笠原関係者の間では個人は特定されてしまうだろう ご老人が小学生のころ 島の反対側の村から小学生が海岸線づたいの数kmを登校してきたという そんな村の面影をすこしでも見たいという 現在では硫黄島クルーズは年1回程度行われている 島の植生・景観観察、旧島民の慰問、バードウオッチングなどを目的とする http://www.n-l.co.jp/tour/tour-ioto.htm 一方で、ここ小笠原から始まるマリアナやミクロネシアの南の島々には 太平洋戦争の朽ちた戦跡がいたるところに点在している 沖縄では南部戦跡で心を打たれるが 小笠原以南の島々ではいまだ手つかずの残骸も残る (境浦・トーチカの銃眼) (初寝浦展望台近くの兵壕) (境浦に沈む沈船「濱江丸」) ご老人は故郷を見ることができただろうか
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